2008年04月21日

せつないね

 朝五時に起きて、適当にそのあたりにあるパンとかを食べて、それからまあ、着替えて出かける訳だ車(セダン)

 まだ昨夜の雨小雨が残っている朝の空気は、ひんやりと薄寒い霧

 川沿いの道をずっと走っていると、河原に点在するブルーシートから、もぞもぞと人が動いているのが見えて、その瞬間、生きているのって、ただそれだけで『せつない』よなあと思ってしまう。

 生まれてから死ぬまでの、わずかな時間を、生きとし生きるものは、みんなその生存を賭けて、必死になっている訳だパンチ

 そんな事を思うぼくもまた、生きる為、生活のために、早朝から夜遅くまでの仕事に就いたのだ爆弾

 『せつない』ねえたらーっ(汗)

 前の会社が廃業して、知り合いが仕事を紹介してあげると言って、面接に行ったら、今まで貰っていた給料の半分の給料を提示されて、どう言っていいのか分らなくなったパンチ

 無論断ったけれど、今のぼくの年齢からして、そんなものかも知れないなあと思ったけれど、まだまだ現役で働けるはずだ〜パンチと思い直して、この過酷な肉体労働を選ぶ事にした足

 この年で、また一番下から這い上がるダッシュ(走り出すさま)。生きていくのは、ただそれだけで、『せつない』ねえもうやだ〜(悲しい顔)
ニックネーム ikkou at 21:03| Comment(0) | 日記

2008年04月06日

ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で

 渋谷のシネマライズで『非現実の王国で ヘンリーダーガーの謎』という映画を見てきた映画

 公式ホームページここ

 予告編その他の映像はここ

 母は早くに死去し、妹はどこかに養女として貰われ、父も亡くなり、天涯孤独となったダーガーは施設を逃げ出し、生まれ故郷のシカゴで17才から尼僧や病院の清掃員をしながら、生涯孤独のまま、81才で他界する。

 家主が亡くなった彼の部屋に入ると、そこには何千ページもの物語と、3メートル以上にものぼる数百枚の絵が残されていたexclamation×2

 「非現実の王国としられる地における、ヴィヴィアン・ガールの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコーアンジェリニアン戦争の嵐の物語」

 ヴィヴィアン・ガールは七人の少女戦士で、人間離れした超能力で、何度もの危機を脱するパンチ

 ダーガーは生涯独身で、引きこもりの男だったから、女性の身体を知らなかったのか、少女たちの裸の絵には、ペニスが描かれているひらめき

 おそらく、見た事もなく失った妹への深い追慕の念によって、ダーガーは少女への偏愛を生涯持ち続けたようだかわいい

 非現実の世界は、現実の世界では決して叶わなかったダーガーの夢を余すところなく実現させる魔法の世界であったのだ。
ニックネーム ikkou at 15:21| Comment(3) | 日記

奇妙な観光旅行 総集編

 昨日、奇妙な観光旅行その2として、福井県大野の七板に行ったことを書いたら、ブログが突然変な具合になってしまったがく〜(落胆した顔)

 今でも4月のブログの更新記録が25とかになっていて、直せないパンチ。記事を書いている途中で、マウスが止まらなくなり、急いで更新したら、同じ記事が無数に画面上に現れたパンチ

 怖くなって、全部削除したが、更新した記録だけは残っているむかっ(怒り)

 七板は、「福井火葬場心中事件」があった場所です。以前にその事をここに書いた。以前の記事はこちら

 おそらくは、そこだと思われる場所に行き、写真を取ってきて、載せたのだけれど、アップ途中で、異変が起こったパンチ。なにか、感じるものがあって、記事にするのをやめたたらーっ(汗)

 とても不思議に思う人影

 大野から勝山にある、知られざる観光スポット、通称「越前大仏」に行く。この大仏の説明はこちら

th_DSC02416.jpg大仏殿に向かう参道は、シャッター通りとなっていて、人の気配さえない。まさに知られざる観光スポットそのままの情景を呈していた。


th_DSC02423.jpg入場料を払ってなかへと進むと、正面に巨大な大仏殿がその偉容を見せる。タクシー王になった多田清氏が湯水のようなお金を使って作らせたことがよく分る。なにせ奈良の大仏殿よりも大きいのだexclamation×2。そうして、やはりここにも誰もいない。見学しているのは、ぼくらだけ目


th_DSC02427.jpg鎮座まします大仏も、奈良の大仏に勝るとも劣らないほどの立派さだし、なんしろ新しくて、ピカピカぴかぴか(新しい)。そうしてここでも見学しているのはぼくらだけという、王様気分ぴかぴか(新しい)と言えば聞こえがいいが、平日で雨が降る遊園地に間違って来てしまったような気分爆弾
なぜか『仏作って魂入れず』という文句を思い出してしまうたらーっ(汗)


 なんとなく、気分が暗くなるのを吹っ切るように、今度は富山高岡の大仏を見に行った。
th_DSC02447.jpg高岡の大仏は、誰も知らないだろうが、日本三大大仏のひとつなのだ〜わーい(嬉しい顔)。奈良の大仏と鎌倉の大仏と、ここ高岡の大仏ねかわいい。普通、奈良と鎌倉の大仏しか見た事ないだろうから、三大大仏を全部見た人は、そんなに多くないんじゃなかろうかわーい(嬉しい顔)。それと越前大仏まで見学したぼくらは、大仏見学の通になったかもしんないひらめき
高岡の大仏は、高岡市民の誇りとなっています。その訳は、市民の寄付によって建てられたからです。古来から寿物産業によって発展してきた高岡市は、その能力を全国に誇るためにこの大仏を作ったのでした。


 そんなあまり知られていない観光スポットを見て回った後は、べっぴんさんAとべっぴんさんKちゃんにまで見送られて帰ってきたのでした。べっぴんさんKちゃんにおみやげまでもらってわーい(嬉しい顔)

 ありがとうございましたかわいいわーい(嬉しい顔)
ニックネーム ikkou at 08:31| Comment(0) | 日記

2008年04月05日

不思議

 なんか、ブログ上で不思議な事が起こった爆弾

 ちょっと怖い爆弾爆弾
ニックネーム ikkou at 16:07| Comment(0) | 日記

2008年04月04日

奇妙な観光旅行その1

DSC02377.JPG東京駅から夜行バスにバスに乗って、金沢駅まで行った。
着いたのは朝7時。そこから連絡しておいたベッピンさんAのクルマ車(セダン)に乗って、福井の永平寺まで走る。夜行バスバスには初めて乗ったかわいい椅子がひとりひとり離れていて、リクライニングシートもすこぶる寝やすかったけれど、なにせバスはずっと走っている訳で、熟睡にはほど遠く、もうろうとしたまま、永平寺まで連れて行って貰う。


DSC02390.JPG永平寺がどんな寺かもよく分らずに、巨木のなかの参道を行き通用門から、寺内にと入る。まずは大広間に通され、若い修行僧の説明を受けて、ここが道元禅師によって開かれた座禅修行の道場だと知らされる。修行僧の説明による道元禅師の教えは、今を懸命に生きる事が、修行なのであり、座禅もまたそのなかのひとつだと言う。行鉢と呼ばれる正式な作法に則った食事もまた修行であり、作務と呼ばれる掃除などの労働もまた修行。今、与えられた事を、一身に行う事、これこそが仏の道というもの。この先どうなるとか、死んだ先がどうなるかなど、その時になったら考えればいい事だとおっしゃる。今を精一杯生ききる事が大事なのだと言う教えに、なぜか深く納得させられ、身が引き締まる思いした。
その教えの後に、寺内の見学に入ったのだけれど、古い木造の建物は、どこを見ても、ピカピカに磨き上げられて、凛とした空気に包まれているのを感じ、またもや身震いがする。この寺は、修行の寺ゆえ、国宝に指定されるような仏像はないと、修行僧はおっしゃったのだけれど、修行僧が毎日掃除しているだろう建物の、ほこりひとつとしてない廊下に佇めば、彼らの気高い精神性が立ち現れる思いがして、人の気高い心こそが、もっともこちらの心を打つものだと、得心するのであった。
山深い自然に囲まれ、その自然に溶け込むように建てられた永平寺は、自然とともに、自然に囲まれて生きる事を大切にする、東洋の思想の美しさに満ちていた。
自然を壊し、堅固な石で作った美しい西洋の町を見ていた眼は、永平寺を見たことで、日本の良さを再確認することになる。
まさに21世紀は、自然との共生を目指さざるを得ないことを人類が知った世紀だろう。東洋の教えが、世界を救う世紀となるだろうことを確信したのでありましたわーい(嬉しい顔)
ニックネーム ikkou at 22:26| Comment(0) | 日記

2008年04月03日

ルネサンス

 4月から仕事に就こうと思っていたけれど、予定通りにはいかなくて、4月もまだプー太郎のまま、迎えることになってしまったたらーっ(汗)

 折しも、本屋を覗くと、塩野七生さんの「ルネサンスとは何であったのか」という文庫本が出ていたので、思わす買ってしまう。

 なにしろ3月に行ったばかりの「フィレンツェ」から話がはじまっているので、身近な出来事として、イタリアルネサンス運動」を理解する事ができて、とても勉強になるのであった。

 さておよそ1200年から1600年に掛けて起こった、ルネサンスとは何であったのか。

 塩野さんはその本質的な問いに、「見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発が、ルネサンスと名づけられることになる、精神運動の本質」だと答えます。

 その後の、詳細な説明は、本文をじっくりと読んで、各々が理解して下さいわーい(嬉しい顔)

 さて詳細に語ったルネサンス運動が、現代に残した遺産として、まず我々が見ることができる芸術品の数々。
 遺産の第2は、精神の独立に対する強烈な執着。自分の眼で見、自分で考え、自分の言葉ないし手で、表現することによって他者に伝える生き方。
 遺産の第3は、二元論ではなく一元論的な考え方だと言います。
 「善」と「悪」は別々なものではなくて、一個の肉体のなかに宿るもの。従って、悪を押さえ善をより多く発揮させるにはどうしたらいいかが、最重要な課題となる。

 ルネサンス運動は、日本では文芸復興と約されていて、古代の復興を目指したと教わりましたが、それはとりもなおさず、人間を中心に置くことを目指した運動です。
  
 キリスト教の神中心の世界観から、多神教だった古代ギリシャ・ローマの人間中心の世界観への強烈な憧憬が、そこにはあった。

 それはそれとして、ヨーロッパのルネサンス運動を、とても興味深く、学びましたが、21世紀に生きる東洋人であるぼくは、ヨーロッパの人間中心の世界観から、距離を置く考え方を持っているようです。

 そんな事を思いながら、ぼくはなぜか福井に行きましたダッシュ(走り出すさま)

 その奇妙な旅行記は、また後でわーい(嬉しい顔)
ニックネーム ikkou at 22:16| Comment(0) | 日記