2008年03月28日

集団自決と小石川無理心中

 ただ今ぼくは失業中なので、ヒマだわーい(嬉しい顔)。だから息子の卒業式だとか、謝恩会だとか、高校説明会だとかに全部出席したかわいい

 なにしろ保護者は、ぼくだけなもので、仕事をしていたら、行けなかった行事もあっただろうから、このヒマな時期を利用して、息子の為に利用できてよかったと思っている。(息子は迷惑そうだったけれどたらーっ(汗)

 それからようやく重い腰をあげて、職探しをはじめたパンチ。(なんにもしない毎日が続くと、だんだん無気力モードになるもんだねえ〜爆弾

 へらへらしながら生きていたら、(ヒマだから塩野七生さんの「海の都の物語」を再読し、映画化になったので大岡昇平氏の「ながい旅」が角川から文庫本本で出たので、それも読んだ。昔、新潮文庫で出ていたのを買いそびれて、読んでいなかったので)今日の夕刊紙に沖縄の「集団自決」裁判(出版差し止め訴訟)の判決がおりた記事と、小石川の製本業社長による一家無理心中事件の記事が載っていた。

 集団自決の裁判は、戦争中における沖縄県民の集団自決に、軍の関与はなかったと元守備隊長らが訴えていた裁判で、軍の関与はあったと記述した大江健三郎さんの「沖縄ノート」の出版差し止めなどを求めたもの。

 「沖縄ノート」は学生時代の読んだ。大江健三郎さんはその前に「ヒロシマノート」を書いていて、若き戦後民主主義の守護神のような役割を引き受けていたように思う。
 大江さんは、小説では難解な方法とグロテスクなイメージを駆使して、今までの日本の小説の伝統を切断し、世界文学の方にリンクさせる作品を書き続けていたようだけれど、自分は第一次戦後派の後継者だと宣言していました。

 その宣言通り、大江さんは先の大戦での非人間的な行為を、検証し告発する事を、自らの指名だと考えていたようです。

 まさに戦後民主主義の守護神という役を、引き受けた。沖縄ノートでは、集団自決を検証し、旧帝国陸軍の悪をあばき、告発し、戦後もアメリカ軍の基地となった沖縄の苦悩を書いた。

 旧帝国陸軍の沖縄守備隊長らは、集団自決を命令した覚えはないと、訴えた。彼らは、自主的に自決したのだとexclamation

 判決は元隊長らの請求を棄却し、軍の関与を認めた。

 ぼくにはおおいに納得する判決だと思います。確たる命令書がなくても、その時、その状況において、帝国陸軍は民間人の自決を促していただろう事は、その当時の事を書いたものを読めば、納得がいくからです。

 参考になったのは、山本七平さんの『空気の研究』です。

 今でも、空気が読めないだの、読めるだのと話題になっているけれど、これほど曖昧で不確実なのに、その時その場にいた人たちに影響を与えるものはないからです爆弾

 集団自決の横の記事は、小石川で起こった、無理心中爆弾

 経営難になった一家の大黒柱が、家族を皆殺しにして、自分も死のうとした悲惨な事件が、また起こりました。

 今年の2月に足立区の梅島で起こった、無理心中と状況があまりのも似ているので、「またか」とうんざりしたのが正直な感想です。

 社長の江成さんは42歳。結婚のおりでしょうか、奥さんとふたりで写っているカラーの記念写真が、載っていて、奥さんは美人だし、江成さんも若く、凛々しく、おふたりとも笑顔が素敵で、結婚を心から喜んでいるご様子が、胸を打つパンチ

 なんで、こうも簡単に結論を出し、無理心中に走るのかパンチ。なにを恐れるのかパンチ

 どうしてこんなにも脆いのか爆弾

 生きていく方法は、たくさんある。ひとつがダメだからって、全部がダメになった訳じゃない。

 失業中のぼくが言うと、説得力が落ちるかなたらーっ(汗)。だけど、子供も奥さんも、あまりに可哀想じゃないたらーっ(汗)

 ぼくは、いつでも、高田渡の歌が心のなかで歌っているのを聞くのです。

 るんるんきせつ きせつがすど〜りするるんるん

 るんるんいきているまいにち るんるん気がつけばぼくは〜るんるん

 るんるんあの〜 るんるんあのころからの浮浪者るんるん

 心はいつも浮浪者です。だから、生きているだけで見っけものと、思っているのです。
ニックネーム ikkou at 22:01| Comment(4) | 日記

2008年03月19日

息子の卒業

DSCF0026.JPG今日は、息子の中学卒業式だったリボン
公立の中学の卒業式は、まあ、何十年経っても、中身はほとんど変わらないいい気分(温泉)
体育館での式じたいは、厳粛な式だった。卒業証書の授与がメインで、後は校長の送る言葉。来賓の送る言葉。在校生の送る言葉。卒業生代表の、門出の言葉。国家斉唱るんるん、区歌斉唱るんるん、最後には校歌斉唱るんるんで締めくくるネット(枠付き)


 それで終わりかと思ったら、各クラスに戻って、最後のホームルームがあり、全員が締めくくりの言葉を言い、クラス合唱をして、校庭に出、在校生全員と保護者が花道を作った中を近くの公園まで行進し、そこで記念撮影カメラをしたり、アルバム本に先生からの一言を書いて貰ったりしてから、別れるという流れだったネット(枠付き)

 息子の担任は、若い女先生で、このクラスが最初の卒業生という事情もあり、かなり感動たらーっ(汗)していた。思い出深い卒業式になっただろうぴかぴか(新しい)
 
 ぼくとしても、息子の卒業には、感慨深いものがあっただろうあせあせ(飛び散る汗)。かあちゃんを亡くして、はや5年exclamation

 男手ひとつで、子供たちをここまで育ててきたパンチ。(無論、おふくろが手伝ってくれなければ、事態はもっと深刻になっていただろうけれどパンチ

 子育てができるような人間じゃなかったものパンチ。娘はいつも「おとうさんは子供よね〜パンチ」とちゃかしまくっていたよ爆弾

 息子はよくできた子供だったよなあと、思うよかわいい。いろんな意味で、母親を早くに亡くした子供は、世界を冷静に見るようになるのかも知れない。

 担任にお礼を言うと、「個性的で、とても面白かった。こちらこそ、楽しませてくれてありがとうわーい(嬉しい顔)」と言われたどんっ(衝撃)

 クラスで作ったクラスアルバムには、全員に最後の一言を書く欄があって、ほとんどの子は「一年間ありがとう」だの「このクラス大好き黒ハート」だのと書いてあるけれど、我が息子の言葉は「オバマ候補」だぜパンチ

 このズレのセンスは、多分、親ゆずりなのかもと、思うのでありましたキスマーク

 とにかく卒業おめでとうひらめき
ニックネーム ikkou at 19:12| Comment(2) | 日記

2008年03月17日

ヴァチカン博物館(ローマ最終日)

th_DSC02255.jpgイタリア観光旅行の最終日は、雨雨だった。ヴァチカン博物館には、さして関心が向かなかったけれど、雨雨のなかを歩く気もしないので、博物館見学の仲間に加わった。
古代ローマに関心があるけれど、キリスト教が支配した中世以後のヨーロッパには、あまり関心が向かない。一般に中世暗黒時代というでしょ。一神教が支配した世紀は、キリスト教の教義だけが絶対になり、文化も芸術も停滞したとの根強い偏見をぼくは持っているからパンチ


th_DSC02248.jpgそんな気持ちのまま、博物館に入ったのだけれど、偏見は偏見のまま、強い信仰の元で作られたタペストリーやら絵画やら、調度品やら彫刻やら壷やらの膨大な作品郡を見ていると、その圧倒的な力に、やはり驚くのであったどんっ(衝撃)
なにより、博物館の建物自体が、驚くほどに美しいぴかぴか(新しい)。長い長い建物の天井全部が金色に輝き、天使たちが舞うようだぴかぴか(新しい)


th_DSC02257.jpgその頃、人の仕事自体が、神の捧げものだと思われていた訳で、職人は最高の技術を持って、神に奉仕した。だから手抜きなんてできないわなパンチ。神はすべてを見ている訳だからひらめき。膨大に並んだ作品を見ながら、そんな事を思っていた。


th_DSC02302.jpgとは言え、宗教画が延々と並ぶ部屋を見て回ると、何百年もの間、画家は聖書の物語や、肖像画を描く職人でしかなかった事に、思いを馳せるのであった。
この後に出た印象派の絵画が、どれだけ革命的であったかが、想像できた。彼らは、どこにでもある風景を描いた。木や山や畑やリンゴや、民家や普通の人たちだ。
みんなが普通に見ているものに、美を見つけたのだ。いまではみんなが風景画を描くから、当たり前になってしまったけれど、最初にはじめた人たちは、どれほど勇気がいっただろうパンチ。誰も認めないものをはじめた人たちはパンチ


 こうして、ぼくの生まれてはじめて海外旅行は終わりをむかえ、長い長い飛行機の旅を経て、日本に帰ってきた。

 いつかもう一度、ヨーロッパに行ける日が来るのだろうかどんっ(衝撃)
ニックネーム ikkou at 21:35| Comment(6) | 日記

バール(ローマ二日目)

th_DSC02229.jpgテルミニ駅から、ローマの三越まで行った。イタリアは、どんなものにもお金が掛かる。レストランの水にも、トイレにもパンチ。この地で唯一その二つを無料で提供してくれるのは、三越のローマ支店だけだと、Eさんが言うので、ふたつ返事で賛成したドコモポイント
三越のトイレで、用をたしていると、なんだかにわかに気持ちが悪くなってきた爆弾。昼間はしゃぎすぎた子供が、夜になると引きつけなんぞを起こす症状に似ているかもしれない。フォロ・ロマーナを見て、興奮が頂点に達したぼくは、その反動で、気持ちが悪くなったようなのだ爆弾
少し落ち着こうと、三越の休憩所で無料の水を飲んで、座っていると、もっと気分が悪くなり、吐きそうになった。で、トイレに駆け込んで、思い切り吐いた。
かわいこちゃんかわいいもEさんも心配そうに見守っていた。吐いたので、気分は落ち着いたようだった。スペイン広場の近くのお店で、お土産物を買いたいというふたりのために、ぼくも付いていく事にした。念のためにと、かわいこちゃんかわいいが三越の袋をもらってくれた。


 地下鉄でスペイン広場まで行った。ふたりが買い物をする間、ぼくはスペイン広場の階段に座って待つ事にした。三越の袋を持ってexclamation。スペイン広場は、その日も大勢の人でごったがえしていたパンチ

 そんな様子をぼうっと眺めていたら、また吐き気が襲ってきたので、三越の袋に吐いたあせあせ(飛び散る汗)。寒気がして、がたがた震えたがく〜(落胆した顔)

 もうダメだと思った爆弾。様子を見に来たかわいこちゃんかわいいに助けられて、タクシーでホテルまで帰り、寝た眠い(睡眠)

 二時間も寝ると、元気になったわーい(嬉しい顔)。(なんだそれパンチ)。お腹も減ったので、市内に戻ってローマ名物『バール』でご飯を食べようと思い、ちょうど出る直後のホテルのバスバスに乗って行った。

 夕方のローマだ時計。Eさんとかわいこちゃんかわいいと三人で、賑やかなローマの繁華街をぶらぶらして、『BAR』と書かれた店を見つけ、手振り身振りで注文して、食べたレストラン。相手が何を言っているか、全然分らないけれど、とにかくピザの切り身みたいなものを食べたわーい(嬉しい顔)

 気持ち悪さも治り、愉快な夕食になったキスマーク
ニックネーム ikkou at 16:35| Comment(0) | 日記

地下鉄の駅で(ローマ二日目)

th_DSC01889.jpgフォロ・ロマーナを見て、すっかり舞い上がってしまったぼくはどんっ(衝撃)、もう後はどうでもいい気分になり、かわいこちゃんかわいいやEさんが買い物に行こうと言うので、別に反対する理由もないまま、地下鉄のコロッセオ駅からテルミニ駅に行くことにした。
Eさんの言われるままに売店で一日券を買い、地下鉄の自動入り口に券を通し、入り口が開くと、中に入った。
日本の地下鉄と同じように、券は機械を通って、出てくるものと思い、疑いもせずに通ると、券は差し込んだ位置に差し込んだままの状態であったパンチ。慌てて取って返そうとすると、入り口の扉は閉まり、手を伸ばしても券は取れない爆弾
ぼくは驚いて、手を伸ばしたまま大声をあげた。「誰か〜exclamation券を取ってよ〜たらーっ(汗)」と叫んだ。
売店の店員の制服を来たイタリアの青年が、大声に気が付いて駆け寄ってくると、券を機械から引き抜いた。ぼくはホッとした。するとその青年は券を持ったまま、走り去った。
「ああexclamation×2」とぼくらは悲鳴を上げたもうやだ〜(悲しい顔)
青年はぼくらに背を向けてしばらく走ると、踵を返してぼくの方に走ってき、ニコニコ顔で券を返してくれたかわいい
ぼくは今度こそ安心して、「ありがとう」と日本語で手を振った。青年もニヤニヤしながら手をふってきた。
イタリア人の軽い冗談には、ビックリexclamationだけれども、旅の忘れられないエピソードになったねえわーい(嬉しい顔)
ニックネーム ikkou at 12:32| Comment(0) | 日記

ローマ二日目

th_DSC02121.jpgローマ二日目は、完全自由行動だネット(枠付き)。目指すのは当然、古代ローマ帝国の心臓部『フォロ・ロマーノ』の遺跡群。朝、ホテルのバスバスで、カヴール広場まで行き、そこからフォロ・ロマーノを目指すグッド(上向き矢印)。同行は、ぼくの他に、かわいこちゃん一名かわいい一人旅のEさん。学生さん一名。
テヴェレ川を、ウンベルト一世橋を通って、渡る。後ろにサンタンジェロ城が見える。早朝のローマ晴れ


th_DSC02152.jpg地図を便りに、まずは『パンテオン』を目指した。大通りから細い道。高い建物が連なり、先が見えない。
不意に広場に出て、ここがナヴォーナ広場だと知れる。広場を抜け、また路地に迷い込む。こんな場所に『パンテオン』があるのかと、不安に思いながらある角を曲がると、そこに古代がそびえているひらめき。街のなかに溶け込んでいる古代遺跡の偉容に驚くどんっ(衝撃)。これが、ローマなのだぴかぴか(新しい)


th_DSC02163.jpgパンテオンのなかを見学すると、ヴェネッア広場、ヴェネッア宮殿に向かう。歩くこと少々。


th_DSC02169.jpgヴェネッア宮殿が見つかれば、その後ろに『フォロ・ロマーノ』があるはずムード。しかしここからは見えない。隣にあるヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念館の坂道を登る。グッド(上向き矢印)


th_DSC02172.jpgしかしそれらきしものはどこにも見えない。
建物の横の細道を、学生さんが大勢歩いている。
「あそこに行ってみない」と一人旅のEさんが言うので、細い道を通り、建物の裏に回る。


th_DSC02179.jpgするとそこに、驚きベき景色が飛び込んでくるexclamation×2。眼下に広がる古代遺跡群『フォロ・ロマーノ』だひらめき


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ニックネーム ikkou at 01:34| Comment(0) | 日記

2008年03月16日

ローマ一日目

th_DSC02007.jpgさてようやく念願のローマだわーい(嬉しい顔)
 バスバスが止まったところは、どこかの城壁跡で、そこから城壁を超えて、どこぞのお店に入った。テーブルに座り待っていると、出てきたのは大皿に盛ったピッツァexclamation。こんな巨大なピッツァがひとりひとりの席に置かれる。こんないっぱいのピッツァをひとりで食べたことがない爆弾。イタリア人は全員が大食いなのかパンチ
 とにかく、出されたものはあまり残さずに食べてしまいたいとの一念で、食べる喫茶店。美味いんだけど、むちゃくちゃ満腹になる爆弾。女性はさすがに残したみたいたらーっ(汗)


th_DSC02043.jpg次に見学に行ったのは、おきまりのトレヴィの泉かわいい。泉の周りは観光客でいっぱいだ。コインを一つ投げると、もう一度ローマに来られ、二つ投げると、好きな人黒ハートと結ばれて、三つ投げると、嫌いな人と別れられるというどんっ(衝撃)


th_th_DSC02026.jpgそうしてスペイン広場わーい(嬉しい顔)。ここはトレヴィの泉より人が多いあせあせ(飛び散る汗)。ぼくもかなりのミーハな訳で、旅行に行く前に「ローマの休日」をしっかり見てきたのだキスマーク。オードリー・ヘップバーンの美しい事ったらないねハートたち(複数ハート)。何度見ても、夢中になって最後まで見てしまうムード。つう訳で、オードリーの真似する奴ばかり増えて、収集がつかなくなったようで、ここではアイスクリーム屋と花屋は禁止になったそうですたらーっ(汗)


th_DSC02111.jpgミーハー気分を満喫したところで、バスはヴァチカン市国に入り、サン・ピエトロ大聖堂を見学する。カトリック協会の総本山だ。ひらめき政教分離が進んだ現代でさへ、法王のお言葉は、世界を動かすパンチ


th_DSC02129.jpgバスは最後にコロッセオに行った。ようやく古代ローマ帝国の遺跡に触れることができたわーい(嬉しい顔)。コロッセオの向こうに、フォロ・ロマーナの遺跡郡があるのだけれど、案内の人はその事にひとつも触れないパンチ。遺跡に開いた穴は、石を食べる虫のせいだと、冗談とも本気ともつかないような事を言うがく〜(落胆した顔)。で、あれって、ホントのことexclamation&question


th_DSC02126.jpg写真は真実の口があるところかわいい。「ローマの休日」で、グレゴリーペックが腕を入れて、なくなったふりをして、オードリーを驚かせたところ。
ニックネーム ikkou at 20:07| Comment(4) | 日記

ピサ

th_DSC01918.jpgフィレンツェで昼食後、斜塔で有名なピサに行った。バスバスに乗っている間に、雲行きが怪しくなって、雨になった雨
 そのまま雨は止む事もなく、ピサを見学中はずっと雨が降っていた雨


th_DSC01915.jpg大聖堂、洗礼堂、鐘楼の三つの建物が、けぶる雨の中で、美しい姿を見せている。三つの建物の建築年代は、全部違っているとの説明を受けたけれど、素人には同じに見える爆弾
 一番奥に姿を見せたのは、あれはそう『ピサの斜塔』exclamation。遠目からだと、いつ倒れてもおかしくないと思われる。近くで見れば、傾斜はもっと急で、どうみても危ないパンチ
 説明では、四層まで建てた時に、傾きはじめたのだそうだ。それじゃ、工事を止めればいいじゃんと思うのは、日本人的発想だそうで、イタリア人は、傾きを修正するように、上部を造ったのだそうだ。だから建物は、バナナのように緩い楕円になっている三日月。変なのパンチ


th_DSC01874.jpg大聖堂のなかは、どこに行っても荘厳で天国的な美を形造る。ぴかぴか(新しい)高い丸天井をくり抜いて、聖書の物語が描かれたスレンドグラスから差し込む光雷は、いかにもこの上に、天国があるかのようじゃないかぴかぴか(新しい)。光は導きであり、救いだというように。
ニックネーム ikkou at 14:23| Comment(0) | 日記

2008年03月15日

フィレンツェ

th_DSC01837.jpgフィレンツェは、ルネッサンスの都市として、教科書で教わった。メディチ家が支配したこの都市では、芸術家の庇護に努め、誰でも知っているレオナルド・ダ・ビンチだとか、ミケランジェロだとかの作品を生み出した。行けなかったけれど、ウフィッツィ美術館はルネッサンス芸術を代表する作品が集められているそうです。美術館の入り口には、朝から大勢の人が並んでいた。


th_DSC01840.jpgバスバスは最初、フィレンツェを見渡せるミケランジョロ広場に向かった。ここから一望するフィレンツェの街は、うっとりするほど美しいぴかぴか(新しい)。芸術家を庇護するだけあって、メディチ家は、都市もまた芸術的な美しさに造ることに努めたようだ家
写真はアルノ川に掛かるヴェッキオ橋。


th_DSC01855.jpgサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。
ニックネーム ikkou at 23:41| Comment(0) | 日記

ヴェネツィア

th_DSC01816.jpgヴェネツィアほど不思議な都は、ないんじゃなかろうかexclamation&question。遊園地の施設で作ったのならともかく、中世では、地中海貿易をいってに引き受け、莫大な富を手にし、シェークスピアが「ヴェニスの商人」という戯曲まで書いて、ヴェネツィアのやり手商人ぶりを揶揄したほどの大共和国パンチ
 その都がすべて、潟(ラグーナ)に木の杭を打ち付けて作った都だなんてパンチ
 凶暴なフン族の来襲に怯えた人たちが、逃げ込んだ干潟からはじまった都市だなんてパンチ
 今のヴェネツィアの美しい都市からは、想像もできないexclamation&question


th_DSC01764.jpgヴェネツィア観光は、ゴンドラではじまった。縦横に巡らされて運河を、ゴンドラに揺られながら眺めた。美しい建物は、みんな水の上に建てられている。
 ゴンドラを降りると、細い路地をぐるぐる歩く。すると不意に、視界が開けて、サン・マルコ広場が現れる。古い荘厳な建物に囲まれた、広場だ。その向こうにサン・マルコ寺院。そうしてドゥカーレ宮殿。ヴェネツィアの中心部だ。ドゥカーレ宮殿の向こうは、青い空と海。ここが海のなかだと知れるのだ船。なんという場所だろう。


th_DSC01784.jpg昼食はここのレストランで本場のイカスミのパスタを食べた。東京で食べたものより、イカスミの色はずっと淡い。この色なら、ウンコが黒くはならないだろうわーい(嬉しい顔)
 ヴェネツィアの事を知りたいなら、塩野七生さんの『海の都の物語』が、最良の案内書だろう本。この不思議な国の誕生から滅亡までが、詳細に書かれている。もう一度読んでみようかと、思うのであった。


th_DSC01803.jpg写真がイカスミのパスタです。
ニックネーム ikkou at 19:56| Comment(2) | 日記

ヴェローナ

th_DSC01692.jpgミラノで、ミラノ風カツレツを食べた後、バスに2時間程揺られてバス、ヴェローナに行った。
 ヴェローナは古代から北イタリアの交通の要衝として栄えた町だそうで、古代に建てられたアレーナは、コロッセオに次ぐ規模の円形劇場を今に残していて、ここでは毎年野外オペラを上演してるそうで、日本からのお客さんも大勢来るそうだ。

 
th_DSC01719.jpgヴェローナは世界遺産に指定されていて、その訳は少し歩くだけで、十分に納得がいく。街並の美しさは、まるでお伽の国に迷い込んだかのような気分にさせ、ここはディズニーシーなんじゃないかと錯覚するけれど、真似したのは当然ディスニーの方だどんっ(衝撃)
 写真はシェイクスピア作「ロメオとジュリエット」のモデルになったジュリエッタの中庭にあるバルコニー黒ハート。このバルコニーの上と下で、「おおロメオ様exclamationあなたはどうしてロメオなのexclamation&question」と夜毎やっていたらしいムード。知らないけどたらーっ(汗)
 「ジュリエッタ」の家には、全世界から恋人たちがやってきて、『恋』ハートたち(複数ハート)の成就を願う落書きをしていくので、壁にはラクガキだらけというありさまだ爆弾
 『恋』に落ちた恋人たちは、恋人以外は目に入らなくなるのはロメオとジュリエット以来、変わらないらしいかわいい
ニックネーム ikkou at 13:03| Comment(2) | 日記

2008年03月14日

ミラノ

th_DSC01648.jpg早朝の9時半に成田から飛行機でパリに飛び、パリからイタリアのミラノに夕刻に到着。およそ13時間も飛行機に乗っていて、その間ずっと窓から外を見ると、日が差している。機内で2回もご飯を食べたのに、その間も、ずっと昼間晴れだ。さすがにミラノに着くと、夜になっているけれど、13時間後が夜なのは、やっぱり変で、ミラノのホテルに入って、寝たのだけれど、夜中の1時には起きてしまう爆弾。こいつが噂に聞く、時差って奴時計なのだと頭では納得するも、身体がふわふわと落ち着かないたらーっ(汗)
 朝はミラノのホテルでバイキングの朝食を食べた。パンとハムとチーズジュースヨーグルトとコーヒーレストラン喫茶店。ご飯がなくて、従業員がイタリア人で、ツワーの日本人以外の客は、外人さんなので、ここがヨーロッパなのだと、思ったりして、それだけでワクワクドキドキ黒ハートしてしまう訳なのだったいい気分(温泉)
 朝食が終わると、バスに乗せられて、ミラノ観光に連れていかれるバス
 着いたのはスカラ座の前。スカラ座広場から、ヴィットリオ・エマニエーレ2世のガレリアとうい商店街まで歩いて、見学。ガレリアとういのは、商店街の道の上に、ガラスの屋根をつけた施設の事らしくて、まあ雨の日でも買い物を楽しめるため考案したようだ。家の近所の商店街にも、似たようなものがあるけれど、ミラノのそれは、比較にならない程美しいひらめき


  th_DSC01681.jpgヴィットリオ・エマニエーレ2世のガレリアとうい商店街を抜けると、ドゥオモ(ミラノ大聖堂)。この先、どの都市にいってもドゥオモというのがあって、そいつは大聖堂ってことだと聞かされる。もうドゥオモだらけがく〜(落胆した顔)
 ミラノの大聖堂は、写真の通り、大変ごりっぱな建物で、ただただ「オーexclamation」とか「ウーexclamation」とか、感嘆の声をあげるばかりどんっ(衝撃)。中に入ってもそれは同じで、様々な色彩で描かれたステンドガラスが日を受けて輝く様は、天国的な効果をあげて、見ているこちらの心を誘うのだったぴかぴか(新しい)


th_DSC01679.jpg大聖堂のなかを見学した後は、約1時間ばかりの自由時間があって、その周りをぶらぶら歩いたのだけれど、迷子になるのが怖いから、当然遠くにはいけやしないのだパンチ
 生まれてはじめて、西洋の街を見て、そこを歩いているパンチ。建物も人も空気も、空の色も、全部、いままで見た事もないと、ただただ興奮している訳で、心は完全におのぼりさん状態なのだったダッシュ(走り出すさま)
ニックネーム ikkou at 22:11| Comment(2) | 日記

2008年03月12日

柳原和子さんを追悼します

 4日から、イタリア観光のツアーに行っていて、11日の夜に、成田の帰ってきました飛行機

 生まれてはじめて海外旅行でしたかわいい

 11日の午後10時50分頃に向こうを出て、成田に着いたのは、11日の午後6時40分パンチ

 出た時間より、着いた時間の方が早い訳で、いったいどうなってしまったのか、説明のつかない思いが、ずっと付きまとっていますがく〜(落胆した顔)

 成田で、ケイタイから自分のブログを見て、iniiniさんのコメントで、柳原和子さんが亡くなったのを知りましたたらーっ(汗)

 1月26日に、彼女が入院している、聖路加病院のホスピス病棟に呼ばれました。

 ケイタイに彼女から連絡があったので、出ると、柳原さんではなくて、彼女の編集担当者の女性が出て、26日の午後1時から3時まで、部屋を確保してあるので、お出でくださいとの事でした。

 聖路加病院に行くと、たくさんの人が集まっていて、部屋の中央には、テーブルがしつらえられてあって、その上にお寿司だとか、ワインだとか、つまみだとかが、山のように用意されてありました。

 狭い部屋に人がいっぱい集まると、柳原さんが車椅子で現れて、ご挨拶をされました。

 この集まりが、どんな意味を持ったものなのか、ちゃんとはお話になりませんでしたが、言外に、生前に付き合いがあった人たちとのお別れの会なのだと分りました。

 司会を担当された編集者の女性から、お名前を呼ばれた方々が、次々と彼女と付き合った日々の思い出を話されました。

 最初のがん発病の時から、今日までずっと彼女を影で支えていた、医師。(その当時は研修医でしたが、今では、最前線で活躍されているそうです)

 がん患者学を書いた時から友人になられた医者の方々病院

 出版や、本の編集で、付き合った古くからの友達。

 がん患者となった時から、様々な場所で助け合った同病の友達。

 NHKのがんサポートキャンペーンで、番組を作っていた放送人。

 ドキュメンタリー作家の大先輩。

 会場になった部屋は、立錐の余地もないほどの人で埋まり、主役である柳原さんの様子を見、友達や仕事仲間の言葉を聞き、それに対しての彼女の発言を聞き漏らすまいと、じっと聞き入っておりました。

 彼女は友人たちの発言に触発されては、思い出の一駒を思い出し、いとおしむように、その時の自らの思いを語りました。

 こうして、2時間はあっという間に過ぎ、彼女は車椅子に運ばれて、部屋から出て行きました。

 ぼくは部屋を去り、病院から外に出て、今見た光景を、感動とともに、何度も反芻していました。

 もう、柳原さんと会うことはないだろうと、思いました。

 こんな素敵な会に招いてくださって、ありがとうと思いました。

 人生の幕切れを、このように自分の力で演出する、彼女のなみなみならない才能に、敬意を抱きました。

 もはや、彼女の物理的な死亡時間は、たいした問題ではないような気がしました。

 ありがとう。柳原和子さん。

 本当に、ありがとう。

 あなたに会えてよかったです。

 
ニックネーム ikkou at 05:28| Comment(4) | 日記

2008年03月03日

ファイト

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 3月2日は、娘の卒業式だったるんるん

 12時30分からはじまった卒業式が、終わったのは午後7時exclamation。それから会場を移しての謝恩会が9時まで続くという、超ロングランの式典で、ぼくが自宅に帰ったのは、12時を過ぎ、娘はそれから、生徒だけの二次会を、一晩中やっていたようで、ヘロヘロなって翌日の昼頃、帰ってきたパンチ

 式場になった体育館に、卒業生が入場する。その時に使った歌が、泉谷しけるの「春夏秋冬るんるん。思い思いに着飾った生徒が、花道から入ってくるシーンに、この曲はなんともいいようのない感情を醸し出すのに成功していて、ジーンと聞き入ってしまう。

 式が終わって、卒業生が花道を退場する時の曲は、「フアイト」と言う曲。ぼくは知らなかったけれど、これがまた恐ろしくいい曲で、退場する生徒たちを見送りながら、この曲の何度も流れるサビの部分に、つい先日、退職した我が身の背中を、励ましとともに、押してくれているようで、胸が熱くなった黒ハート

 るんるんあたし中卒やからね 仕事を
 もらわらへんのやとかいた 
 女の子の 手紙を 文字はとがりながらふるえてる
 ガキのくせにとほほをうたれ
 少年たちの眼が年をとる
 悔しさをにぎりしめすぎた
 こぶしのなかでつめがつき刺さるるんるん
  
 るんるんフアイト たたかう君のうたを
 たたかわない奴らが笑うだろう
 フアイト 冷たい水の中を
 震えながらのぼってゆけるんるん

 るんるんあぁ小魚たちの群れ キラキラと
 海の中の国境を 超えてゆく
 諦めという名の 鎖を
 身をよじって ほどいてゆくるんるん


 自森の卒業式は、凄いとの噂は聞いていたれど、体験して、その凄さを実感パンチ

 生徒が主役というこの学校の式典らしくて、生徒ひとりひとりに証書を渡すのだけれど、その間に、みんなから親しみを込めたかけ声がかかり、その声に応えて、パフォーマンスをする生徒までいて、みんなが、みんなに励ましを与え、みんな仲間だよと、訴えているようだぴかぴか(新しい)

 弱肉強食が、生き物のさだめだけれど、その鎖をわずかにでもほどくのは、人間の知恵の力だろうと思うのだ。

 その能力を引き出して、大きな力となって、共生を目指すのが、教育でもあると思うのだわーい(嬉しい顔)

 自森はいい学校だなあと、思ったのだひらめき
 

 
ニックネーム ikkou at 17:14| Comment(0) | 日記