本日、長らく勤めていた会社が、終わるのに伴い、退職いたしました。
それにしても、今年の2月ぐらい、変てこな日々を送ったことは、多分ないのじゃなかろうかと思うぐらい、奇妙な毎日だったような気がするけれど、これも人生の一齣なのだと、今になってはお気楽な感想が浮かぶ

。
後は野となれ山となれ的、おうようさが漂うのだ

。
廃業した会社は、ある児童書専門の出版社の返品を扱うのが、ほとんど全部の仕事でした。
書店から売れなくて返ってきた本を、預かって、綺麗に再生して、また本屋に送りだすのが、仕事でしたね。
本の再販制度があるおかげで、成り立っている商売ですね

。(この先、再販制度が無くなって、本の買い切り制になったら、仕事自体が無くなるのかもしれませんが…)
その出版社の社長が変わって、今まで委託していた下請け会社を全部切って、日本でも有数の大会社に、全部の仕事を委託することに決めた。
それが、今度の廃業の原因です。
2月の半ば頃から、次に委託する会社の社員が大勢来て、倉庫にある本を整理して、
トラックに積んで、自社倉庫に持っていく作業に入りました。
その作業が2月の20日頃まで続き、倉庫はもぬけの殻になりました。10人ほどいたパートさんは、15日頃に退職となり、後は、この会社の代表取り締まり役のSと、専務っぽいKとぼく

。
この三人で、倉庫にあった諸々の品物を(棚だとか、机だとか、とにかくたくさん

)解体したりなんなりして、トラックに積んで、廃品業者のところに持っていったりして、片付けておりました。
今日の最後の日は、机、
椅子はおろか、事務所の電気まで止めたので、最後になる昼ご飯の仕出し弁当は、外で、まるで
ピクニックのようにして食べました。(今日は春先のように暖かくて、良かったです

)
いっぽう、下の息子は、高校受験

。第一希望としたのは、とある都立高校

。理由は、自宅からもっとも近くで、自転車で通えるからという、とてつもなく安易な理由

。
とはいえ、その都立高校は、息子の
学力では、そう簡単には入れそうもない学校なのであった

。
で、息子は塾に通って猛勉強をはじめた


。
親としては、それも失業する親としては、頑張る息子のために(そうして親の経済的負担軽減のためにも)受かって欲しいと思うのは、人情でしょ?
だから、もう神経ピリピリ

。こっちの失業問題なんて、どうでもいいから、なんとか息子の笑顔を見たいもんだと、思うのでありました

。
受験の日が来るのを、今か今かと待ち、受験が終われば、発表日の28日がくるのを、神経ピリピリさせながらじっと待った

。
息子は試験が終わった日から、なぜだか自信を失って、落ちたとしか言わない

。
だからぼくは、落ちいたっていいじゃんと慰めるのに必死

。
「人生はとてつもなく長くて、それこそいろんな試練がいっぱいあるのよね

。高校落ちるぐらいなんでもないじゃん

。この年になっても、まだ試練なんだぜ。もう嫌になるけど、しょがないと開き直って、イタリア
旅行だぜ〜

」と言うのだけれど、このぐらいの年の
子供には、わかんねえだろうな〜

つう訳で、発表の日には、ふたりで見にいった(どうせ会社じゃ、片づけの仕事しかない)
クルマで行ったけれど、100円パーキングがなくて、息子だけ先に降ろして、見にいかせ、自分はちょっと遠くまで走り、パーキングを見つけて、学校まで歩いていくと、息子が校門の前で、しょんぼりしている

。
さすがにぼくも「オオ

」とか思い、「どうだったの、ダメだったの

」と聞くと、「受かっていた」と息子が言った。
この野郎

、受かっているなら、もうすこし喜びを表現しろよ

。わかんねいじゃねえか

。
でも良かったねえ。本当に、ホッとしたよ

。
という騒ぎを横に見て、我が娘は、2日の
卒業式に着る服を買いに、今日は、
横浜の中華街まで行った

。
なんでもチャイナ服を着て、卒業式に挑むとか

。あそこの学校の卒業式は、まるで仮想舞踏会とか、コスプレ大会みたいなんですね

。
で、ちゃんと卒業できるのかと念を押すと、学校から離れがたくなったとかで、卒業式の後も、学校に行って、レポートを書くとか言う。
なんなんだよ。いったいなんなんだよ

我が娘よ。ぼくはしばらく留守にするから、息子の面倒みてよねえ〜

