2008年02月29日

あとそれから、書き忘れたけれど!

 下の記事で、書き忘れたけれど、

 2月26日は、ぼくの誕生日だったのだ手(チョキ)

 あんまりいろんな事が重なったので、忘れてしまったけれど、

 ぼくはこれで54才になりましたぴかぴか(新しい)キスマーク

 ああひらめきおやパンチまあひらめき

 凄い年になったもんだねえ〜ムード
ニックネーム ikkou at 21:19| Comment(8) | 日記

2月が終わり、仕事も終わる

 本日、長らく勤めていた会社が、終わるのに伴い、退職いたしました。

 それにしても、今年の2月ぐらい、変てこな日々を送ったことは、多分ないのじゃなかろうかと思うぐらい、奇妙な毎日だったような気がするけれど、これも人生の一齣なのだと、今になってはお気楽な感想が浮かぶいい気分(温泉)

 後は野となれ山となれ的、おうようさが漂うのだどんっ(衝撃)

 廃業した会社は、ある児童書専門の出版社の返品を扱うのが、ほとんど全部の仕事でした。

 書店から売れなくて返ってきた本を、預かって、綺麗に再生して、また本屋に送りだすのが、仕事でしたね。

 本の再販制度があるおかげで、成り立っている商売ですね本。(この先、再販制度が無くなって、本の買い切り制になったら、仕事自体が無くなるのかもしれませんが…)

 その出版社の社長が変わって、今まで委託していた下請け会社を全部切って、日本でも有数の大会社に、全部の仕事を委託することに決めた。

 それが、今度の廃業の原因です。

 2月の半ば頃から、次に委託する会社の社員が大勢来て、倉庫にある本を整理して、トラックに積んで、自社倉庫に持っていく作業に入りました。

 その作業が2月の20日頃まで続き、倉庫はもぬけの殻になりました。10人ほどいたパートさんは、15日頃に退職となり、後は、この会社の代表取り締まり役のSと、専務っぽいKとぼくもうやだ〜(悲しい顔)

 この三人で、倉庫にあった諸々の品物を(棚だとか、机だとか、とにかくたくさんexclamation)解体したりなんなりして、トラックに積んで、廃品業者のところに持っていったりして、片付けておりました。

 今日の最後の日は、机、椅子はおろか、事務所の電気まで止めたので、最後になる昼ご飯の仕出し弁当は、外で、まるでピクニックのようにして食べました。(今日は春先のように暖かくて、良かったですわーい(嬉しい顔)

 いっぽう、下の息子は、高校受験ふらふら。第一希望としたのは、とある都立高校ホテル。理由は、自宅からもっとも近くで、自転車で通えるからという、とてつもなく安易な理由爆弾

 とはいえ、その都立高校は、息子の学力では、そう簡単には入れそうもない学校なのであったパンチ

 で、息子は塾に通って猛勉強をはじめたパンチパンチ

 親としては、それも失業する親としては、頑張る息子のために(そうして親の経済的負担軽減のためにも)受かって欲しいと思うのは、人情でしょ?

 だから、もう神経ピリピリむかっ(怒り)。こっちの失業問題なんて、どうでもいいから、なんとか息子の笑顔を見たいもんだと、思うのでありましたがく〜(落胆した顔)

 受験の日が来るのを、今か今かと待ち、受験が終われば、発表日の28日がくるのを、神経ピリピリさせながらじっと待ったがく〜(落胆した顔)

 息子は試験が終わった日から、なぜだか自信を失って、落ちたとしか言わない爆弾

 だからぼくは、落ちいたっていいじゃんと慰めるのに必死ちっ(怒った顔)

 「人生はとてつもなく長くて、それこそいろんな試練がいっぱいあるのよねふらふら。高校落ちるぐらいなんでもないじゃんパンチ。この年になっても、まだ試練なんだぜ。もう嫌になるけど、しょがないと開き直って、イタリア旅行だぜ〜かわいい」と言うのだけれど、このぐらいの年の子供には、わかんねえだろうな〜パンチ

 つう訳で、発表の日には、ふたりで見にいった(どうせ会社じゃ、片づけの仕事しかない)

 クルマで行ったけれど、100円パーキングがなくて、息子だけ先に降ろして、見にいかせ、自分はちょっと遠くまで走り、パーキングを見つけて、学校まで歩いていくと、息子が校門の前で、しょんぼりしているふらふら

 さすがにぼくも「オオexclamation」とか思い、「どうだったの、ダメだったのパンチ」と聞くと、「受かっていた」と息子が言った。

 この野郎パンチ、受かっているなら、もうすこし喜びを表現しろよ爆弾。わかんねいじゃねえかむかっ(怒り)

 でも良かったねえ。本当に、ホッとしたよわーい(嬉しい顔)

 という騒ぎを横に見て、我が娘は、2日の卒業式に着る服を買いに、今日は、横浜の中華街まで行った電車

 なんでもチャイナ服を着て、卒業式に挑むとかキスマーク。あそこの学校の卒業式は、まるで仮想舞踏会とか、コスプレ大会みたいなんですねかわいい

 で、ちゃんと卒業できるのかと念を押すと、学校から離れがたくなったとかで、卒業式の後も、学校に行って、レポートを書くとか言う。

 なんなんだよ。いったいなんなんだよパンチ我が娘よ。ぼくはしばらく留守にするから、息子の面倒みてよねえ〜パンチパンチ
ニックネーム ikkou at 20:39| Comment(4) | 日記

2008年02月16日

ヴェニス光と影

itavenis.jpg  


 今回のイタリア旅行では、ヴェニスにも行くことになっているので、本箱を探して、ヴェニスの本を探した。

 塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読むようになったのは、彼女の本「海の都の物語」を読んで、面白かったからだ。

 「海の都の物語」はヴェネチア共和国の誕生から滅亡までの一千年の興亡を辿った物語です。
 
 中世ヨーロッパでは、地中海貿易によって、あの小さな国に莫大な富がもたらされ、ヨーロッパ最大の海運国を誇っていたそうで、東洋から輸入した香辛料は、その当時の人たちの食卓のには、欠かせないものになったそうです。
 
 地中海の覇権をめぐって、大国トルコとの戦いは、圧巻です。

 でも、さすがにこの本を再読する時間もなく、ましてや「ローマ人の物語」15巻を再読することは、もっと不可能なので、イタリアに関する本を探していたら、『ヴェニス 光と影』を見つけました。

 この本は文章を吉行淳之介が担当し、写真を篠山紀信が担当している、ちょっと珍しい本で、発行は昭和55年10月20日。その初版本です。

 吉行さんが大好きだったので、海外旅行が嫌いな吉行さんの貴重な海外体験を文章にしているのと、吉行さんが写っているので、すぐに買った本です。

 吉行さんの文は、さすがに旅行が嫌いな氏らしく、滞在中はほとんどホテルの部屋にいたことが書かれていて、篠山紀信さんの写真は、観光旅行で見る、ヴェニスがそのまま写っています。

 その文のなかで、イタリア料理に触れているところがあって、フンギという茸料理が紹介されていました。松茸のような傘のおおきな茸。傘の部分だけ使うバター焼きに、茎のところを使う、スパゲッティ・コン・フンギ。

 ある日、イタリアでのイタリア料理と、日本のイタリア料理はどう違うかを、比べてみようと、かわい子ちゃんと、とあるピザ屋に行きました。

 メニューを開けると、その一番はじめにフンギと書かれたピザがあったので、迷う事なくそれを注文。

 かわい子ちゃんはなにを思ったのか、イカスミのパスタ。

 フンギのピザには、どう考えても、写真でみたフンギは入ってなくて、マッシュルームが入っていたパンチ

 つぎにかわい子ちゃんが注文したイカスミのパスタが出たので、そいつを小皿に分けて食べていると、目の前のかわい子ちゃんの口が真っ黒爆弾。開いた口からのぞく歯もお歯黒のように真っ黒爆弾
「こんなの注文して、口が真っ黒じゃないのさパンチ。これじゃ、帰る時に大変じゃん」と文句を言うも、かわい子ちゃんは動じることもなく「だって食べたかったんだもの」と言うばかりパンチ

 翌日、かわい子ちゃんから電話があった。
 「ねえ、私のウンコがチョコレート色なんだけど、これって胃か腸が出血しているのよね爆弾。病気になってしまったみたい」
 
 そういえば、ぼくの今朝のウンコもチョコレート色をしていたので、「ぼくもだよ」っと言った。

 「大変exclamation。ふたりで病気になってしまったもうやだ〜(悲しい顔)」とかわい子ちゃんが言った後、「??」ちょと考えてから、「そうだったイカスミを食べたんだ」と思い出して言った。

 だからさぁ〜。あの時こんなの注文するなよって、言ったじゃないの爆弾爆弾
ニックネーム ikkou at 17:09| Comment(4) | 日記

2008年02月14日

楽園への道

 池澤夏樹さんの個人編集による世界文学全集の第二巻目は南米チリの作家、バルカス・リョサの最新長編『楽園への道』だ。

 バルカス・リョサの小説を読んだのは、これがはじめて

 19世紀の半ば、女性解放運動と、労働者の団結を勧めるために、フランス中を遊説して回った、ほとんど先駆的な活動をした女性がいた。

 その名を「フローラ・トリスタン」スカートをはいた煽動者exclamation。資本家やその手先の警察に迫害されながらの教宣活動は、あまりに強行軍のために、寿命を縮め、わずか41歳で亡くなる。

 その4年後に彼女の薄幸の娘から生まれたのが、「ポール・ゴーギャン」芸術の殉教者爆弾

 35歳の時に、ブルジュワの生活を捨て、画家になってしまった男。生活は困窮し、周囲からは反社会的かつ不道徳の烙印を押されるが、ゴーギャンはひたすらに絵を描く。

 やがて、ヨーロッパ文明を否定し、文明の破壊から免れた、原始の生活が残る地を求めて、彼は、ポリネシアへと向かい、悲惨な生活を続けながら絵を描くのだ。

 祖母と孫。このふたりの時代の反逆者を、一章ごとにパラレルに並べて辿り、決して辿り着く事がない楽園への道程を、リョサは、愉楽の文で描く。

 まさに小説を読むことの愉楽を、この本を読みながら感じていた。

 バルカス・リョサの小説を読んだのは、これがはじめてだけれど、これほどの作家を、今まで読まなかったのを、自身に恥たほどだ。

 長編小説の厚みを、十分に楽しんだ。小説は、読んでいる間にしかないと言ったのは保坂さんだけれど、とりわけその説は、長編小説に当てはまる。

 ぼくはこの文で、単なる概要しか言えない。そうして概要なんて、なにも言っていないのと、同じだ。

 「楽園への道」の面白さを理解するには、ただひたすら、読むしかない。読みながら、読むことの愉楽を感じるしかない。

 廃業しようが失業しようが、小説は面白い。

 
ニックネーム ikkou at 21:58| Comment(2) | 日記

2008年02月13日

無理心中

2月11日に、無理心中があった。

記事は以下の通り↓
東京都足立区の機械修理・販売業佐々木亨さん(52)方で佐々木さん夫婦と母得子さん(85)が死亡し、二男(15)が重傷となった事件で、佐々木さんが金に困っていた疑いがあることが12日、警視庁捜査1課と西新井署の調べで分かった。同課などは業務経営がうまくいかず、追い詰められて無理心中を図った疑いがあるとみて調べている。
 調べなどによると、佐々木さんは5日、自宅の土地借地権不動産会社に約4000万円で売却する契約を締結。自宅1階の作業所の機械はほこりをかぶり、最近は稼働していなかったとみられる。
 近所の主婦(64)は佐々木さんについて「昨年夏ごろまでは、青い作業着姿でトラックに機械部品を積んでいる姿をよく見たが、最近は作業所のシャッターが閉まっていたようだ」と話している。
 現場の状況から、佐々木さんは階段踊り場に遺書を置いた後、2階廊下で妻和子さん(49)を殺害した疑いがあり、遺書や周辺には血が飛び散っていた。その後、1階に降り、得子さんと二男を襲ったとみられる。』


 佐々木氏は52歳。ぼくより一つ下。ふたりの子供たちの年齢も、よく似ている。

 ずっと続けていた家業が経営不振に陥り、廃業せざるを得ない状況に追い込まれてしまったのが、原因というなら、2月いっぱいで、勤めていた会社が廃業して、失業してしまうぼくの今の状況と、よく似ているだろう。

 佐々木氏は、お金に困って、不動産屋に、自宅を売却する契約を結び、4千万円もの大金を、得ることができたのに、それをしないで、無理心中の道を選ぶ。

 借金がどれほどのものだったか、この記事だけでは分らないけれど、4千万円以上、あったのかどうか?

 謎だけれど、まじめで仕事一筋の性格だったらしいので、それほどの金額ではなかったような気がする。

 それよりも、親父の代から続けていた家業を、自分の代でつぶしてしまう事を、おおいに、恥じたのではなかろうか?

 佐々木氏と今のぼくの陥った、苦境は、よく似ていると思うのは、不遜な考えだろうか。

 ぼくは2月で仕事がなくなったら、一度は行きたかったイタリアに行こうと思た。

 この先、どうなるのか、全然分らないけれど、そんな事は、旅行から帰ってから考えようと、そうとうにちゃらんぽらんに思った。

 佐々木氏は、4千万円も入るなら、世界一周の旅をすればよかったんじゃなかろうかと、ぼくは思う。

 その後は、その後で、考えればいいんじゃなかろうかと思った。子供だってかなりおおきくなった訳だし、仕事がまったくない訳じゃなかろうし、どうにか生きていけるんじゃなかろうか。

 と、ぼくは思う。甘い考えだろうか?

 でも、無理心中するよりはいい考えじゃないだろうか?

 佐々木氏は、なぜこんなに思い詰めてしまったのだろう?

 いいかげんで、ちゃらんぽらんで、出たとこ勝負の人生だって、人生だもんね。

 誰に恥じる必要があるだろうかパンチ
ニックネーム ikkou at 22:17| Comment(4) | 日記

2008年02月03日

雪景色

画像

 東京に雪が積もったのは、実に、実に久しぶりのことだと思う雪

 朝起きて、窓から外を見たら、雪がシンシンと降っていた小雨
 息子は遅く起きて、雪景色を見ると、そのまま寝床で、村上春樹の「海辺のカフカ」の続きを読みはじめた本

 日曜日だったから、外に行かなければ、行かないでよかったけれど、普段と違う景色に、ワクワクしちゃたので、散歩に出て、公園の雪景色雪を、ケイタイのカメラカメラにおさめた。

 で、こうしてブログを書いているついでに、金曜日の夜のことも書いておこうと今、思ったひらめき

 ずっと前から、資源ゴミを会社に取りにくるMさんが、会社がなくなることを聞いて、とても残念そうに思って、ぼくらを、行きつけのおでん屋さんに招待してくれたのだムード

 Mさんとしても、お得意さんを招待するのははじめてだそうで、めかしこんで、やってきた。

 そこでMさんは、自分の60有余年の人生に触れた。廃品回収業一筋だった自分の人生を、今はとても満足していて、最近になって、仕事が面白くなったと言った。

 中学卒業とともに、山形から集団就職で東京にやってきて、親元にはずっと仕送りをし、親が病気になって、もっとお金が欲しくて、廃品回収業になってから、この仕事一筋exclamation

 なった当初は、話すのが恥ずかしくて、人のいない場所ばかりを回っていたから、まったく儲からなかったけれど、やっていくうちに、お得意さんが増えて、会社のお得意さんのおかげで、ここまでやってこられたことに感謝する意味で、はじめてお得意さんを招いたと言ったひらめき

 Mさんの人生は、戦後日本の高度経済成長の歴史そのままのようだ。

 極度に貧しかった日本の国民が必死に歯を食いしばって、働きに働いて、ようやく豊かさを手にいれた歴史そのままだ。

 Mさんの話を聞きながら、ぼくはMさんの人生をうらやましく思ったひらめき

 こんな風に謙虚に、自分の人生を語れるMさんのような人生を送れたら、どんなにいいだろうと思ったひらめき

 ぼくらは経済状況がよくなったおかげで、高校に行き、大学まで行かせて貰ったけれど、人に自慢できる人生なんか全然送れなかったよパンチ

 そうしてこの年で、また失業の憂き目にあうもうやだ〜(悲しい顔)

 波瀾万丈といえば聞こえがいいけれど、とにかくいいかげんなだけだったパンチ

 Mさんの年になってから、いい人生だったと語れたら、どんなにかいいだろうるんるん
ニックネーム ikkou at 18:08| Comment(5) | 日記