去年、娘の学校の音楽祭に行ったおり、購入した冊子「創立者に学ぶ」に目を通した。
冊子は五冊あって、最初に手に取ったのはどうしてだか、今、校長先生をやっている社会科の先生のお話が載っている『4』だった。
娘の学校は娘が入った年がちょうど20周年目で、学校は盛大な20周年のお祭りをやっていたのを思い出した。
それで、ふむふむとか思いながら、創設時の混乱を率直に語っている、校長先生の話を読んだ。
それから『5』を読んだ。語るのは、この学校ができる前の、学生の時からかかわってきた美術科の先生の話で、まさに混沌と怒濤の日々を、生き生きと語っているので、めちゃんこ面白い


。
喧嘩と遊びにあけくれた、彼自身の学生時代のことを語るところが時によくて、語りってのはやっぱり
子供時代のめちゃくちゃの方が絶対に面白いよなあと、思った。
いわば秩序の側ではなくカオスの側。
次に『3』を読む。数学科の先生だ。数学ってのは、これはもうどう見ても、秩序の側の論理な訳で、ある意味、数学的な思考が、文明を構築している訳で、これはもう安定しちゃっているよ。語りにおいてもね。って妙に感心して読んだ。
次に『1』を読む。社会科の先生。それから最後に『2』の美術科の先生。
とりあえず、全部読んで、先生って大変だなあと当たり前のことを思うのであります。
自分の娘ってのは、ぼく的にはあまり好きじゃないタイプの女の子だと思っている。目の周りを真っ黒にして、奇妙な格好をして学校に行く。
(余談だけれど、今日は寝過ごして、駅まで
クルマで送って行った

。)
でも、それを強制的に止めさせる気はない。そんなの個人の自由だと思っている。ぼくは
化粧っけのない子が好きだけど、そんなのぼくの好みの問題だ。好みを、他人に強制する気はないし、そんなことしちゃいけないと思っている。
好みの問題を、強制的に押し付ける。大抵の学校は学校の好みを生徒に押し付ける。社会も暗黙の約束で、人に圧力を加える。流行だとかなんとか!
自由と自立の問題に、回答がある訳ではない。個人がひとりひとり、考えていくものだ。何がよくて、何が悪いのか。
一見、無秩序のカオスのような様相は、とても見苦しく見えるけれど、考え続けるとは、無秩序に身を委ねる力があるということだと思うのだ。
ぼくは学校って、必要悪みたいに思っている。本当の学びは、学校を後にしてからするものだと思っている。
だから学校は、学ぶところではなくて、学び方を
教えるところだろう。
娘の通う学校は、いつでもカオスであり続けて欲しいと思う。混沌のなかで、学び方を学んで欲しい。
いい学校じゃないの
