昨日の新聞の記事で『ライ麦畑でつかまえて』の作者、J・Dサリンジャー氏が91才で亡くなった事を知った。
氏は『ライ麦』を書いた後、この物語の主人公の思想をなぞるかのように、世間から離れ、隠遁生活に入り、そのまま長い長い人生を生きて死んだ。
新聞の記事によれば、1951年に出版されたこの小説は、その後世界各国で翻訳され、発行部数は6千万部を超え、今なお、年に25万部ほども売れるという。やはり『特別な物語』といっていい小説だ。
『ライ麦』はやはりぼくにとっても、忘れがたい『特別な物語』だし、そんなぼくの思い入れなど、まったく知らない息子が、この小説を読んでの感想を、自身のブログに書き綴ってあるのを見て、喜んだけれど、この小説に感応してしまう精神を持った奴は、この先大人になるにつれて、しんどくなるだろうなあとも思い、内心は複雑な思いも去来するのであった。
この世に人として生まれて、ではどのように生きるのが正しいのか。いつかは死んでしまうことを知ってしまった人間という奴に生まれて、生の儚さを知ってしまった後で、ではどのように生きるのがいいのかは、いつまでも提出できない宿題のように、心に引っかかる。
とはいえ、時は休まることもなく過ぎ、生活のためには、せっせと働き、そんな事を考える時間もないという暮らしも長く、流される人生だって、いいもんと、居直ったりして。
いつのまにか、娘が20になり、成人式に、着物なんぞを着て、はしゃいでいるのを見ると、なぜか感慨めいたものも去来して、こいつにはホントに苦労したぜって、ため息をつくやら、ホッとするやら。
なぜか、娘とは正反対な真面目な性格の彼氏ができて、着物姿で同級生とはしゃぎ騒ぐ娘に、なんなんだこいつらはと、お互いの顔を見合わせていたり。
幸せになっておくれ…。
息子は自費でCDを作るとかで、昨日今日と、張り切って出かけた。
青春しているよなぁ〜。
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